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2006年01月17日

京都タワー

京都タワー全身で愛して 京都造形芸大生3人 体操考案しPR

数年前に京都に行った時の事である。

京都観光と言っても日帰りであったその日は早朝から東寺を見学したのだと記憶している。その後、友人で駄目主婦であるところの杉谷女史と合流し、京都唯一の駄目観光地と呼んでも過言ではなかろう京都タワーへと踏み込んだ。それが岐阜市にあるホテル京都であったなら、まるで昼メロのようなドロドロの不倫劇であったろう。しかし京都タワーに踏み入る男女二人がそんな関係であるはずもない。関係があるとすれば、それは好き同士ではなく馬鹿同士だ。

とにかく我々は、私の駄目観光目的のために、京都タワーに踏み込んだのだ。その内容は言わずもがなである。シドい。
ペンキの塗りは悪いわ、壁は汚いわ、食堂は食わせる気ないわ、みやげもひどいわ、まさにパーフェクト。最後に見せられる京都の一年を表現した町の模型などアホかと思うくらいである。もちろんこういう駄目な空気を楽しむために京都タワーに入ったのであり、そういう意味では大変満足できる時間であった。

東京タワーなどは、その背後にそれなりの観光客と人口が存在しているため、努力をすればそれなりの集客を期待できる。そのために何かと芸がこまかいのであるが、その点について京都タワーは不幸である。その背後には莫大な観光客がいるのであるが、その他の観光地が京都タワーとは比べ物にならないくらい凄まじいために、誰も寄り付かなくなってしまう。若干の努力をしたところで、報われないのであろう。そのために努力を怠り、さらに客足が遠のくのである。もちろん私も京都タワーに行く時間があるというのであれば、東寺を回ることを勧める。

さてこの女学生達であるが、広義において愛情が歪んでいるのだろう。私のような寂れた観光地好きや、いやげもの好き、その他に例示するなら廃墟好き、NHK教育好きといった、ニッチであるものの確実に存在する物好きジャンルを好む人間である事は間違いない。それに加えてどう愛を表現するかというところについて、誉め言葉として歪んでいると表現するほか無い。
きっと彼女らは、本当に京都タワーが好きなのだ。問題は京都タワーという存在が好きなのではなく、現在の京都タワーが好きなのだ。連日人が押し寄せるような、人気者の京都タワーなんてものは想像もしたくない。だけれども皆に愛して欲しい。どうしたらいいのだろう。それがこの「作品」の根源なのではなかろうか。それを体操として表現するその手法は、まさに現在の京都タワーにピッタリでありながら、本気なんだか冗談なんだかよくわからない世界観は、歪んだ愛情表現だと言えるのだ。


さて、杉谷女史とのインチキ逃避行は、その後幾人かが合流し、普通の飲み会へと変貌した。というよりも、私が京都での集まりに朝から京都入りし、そこに杉谷を呼び出して同行させた、というのが失楽園と言うよりも圧倒的に正しいわけだ。
そこに出席していた吉野氏が面白い事を言っていた。

 京都タワーは京都で一番眺めのいいところだ。
  なぜならそこから京都タワーが見えないからである。

投稿者 弥十郎 : 2006年01月17日 14:16

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