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2006年01月27日
マスコミは手のひらを返したか
おそらく否であろう、と私は思う。
一連のライブドア報道についてである。
人間関係において、愛の反対は憎ではなく無関係である。愛憎は表裏一体の存在であり、それが具現化されて表面に表れてくるものの象徴がストーキングである。愛したものが自分の理想と異なるために、人はそれを憎むのだ。無関係になるのが恐ろしいから、人は離れてゆくものに執着するのだ。
つまりそれだけの事だと思う。
今までの傾向として、これだけ強烈に報道された人間が、同じような境遇に陥った時、マスコミは同情的な報道をするだろうか?昔も今も、肯定的だろうが否定的だろうが、何か題材があれば根掘り葉掘りほじくりかえして報道しまくるだけでしょうが。
完全に想定内だと思う。
まあ、マスコミがクソだってことについては完全に同意するし、ホリエモンに同情できないという感情も共有できるわけだけれどもさ。
投稿者 弥十郎 : 17:23 | コメント (9) | トラックバック
2006年01月24日
郵便局
東京は先週末に大雪に見舞われ、この火曜日になってもその爪あとは消えていない。
月曜日からの晴天で、雪は溶けては固まりを繰り返し、日の当たらない場所では完全な氷塊となっている。
今朝方、近所の郵便局へ出かけたところ、玄関が北向きであるその特定郵便局の前はそうした例から外れる事無く、入り口の前からポストにいたるまで、氷がアスファルトをビッシリと覆っていた。
そして張り紙がひとつしてあった。
「足元にご注意ください」と。
もう、あほかとばかかと。
何のための特定郵便局かと言えば、遠くの郵便局に行けない人のための特定郵便局であろう。そうした方々が、足元に自信があるかと言えば否である。張り紙をする余裕があるのなら雪かきをしろ。はずかしくないのか。商店街を見てみれば、店子が店の前の歩道の雪かきをしているだろうに。東京に自宅前の道路の雪かきをする風習が無いとは言え、雪かきをせずに張り紙をするというのは、民営化という言葉を掲げているもののすることではない。
さすがにあきれた。
投稿者 弥十郎 : 14:16 | コメント (6) | トラックバック
2006年01月23日
ライブドアの株を持っていた人について
ライブドアについて何か書こうかと思ってみたところ、川上君がライブドアの株を持っていたらしい。まあたいした額ではないみたいなので安心したものの、彼がライブドア株を持っていたことにビックリした。
川上君が「利益確定して手放していれば、いやそれはない(意訳)」とか言っているのだが、一般人が配当の出ない株を持ちつづけることに何か意味があるのだろうか、という事を疑問に思った。
さらに川上君は、手放せなかったと言っているわけなのだが、もっと上がると思ったのだろうか。問題はどこまで値上がりしたら満足するのだろうか、という事だ。この問題についてポテコこの小袋を食べ終えるぐらいの時間考えた結果、次のような結論に落ち着いた。
川上君は株価が下がって大変な事になるまで株は手放さないタイプである。
投稿者 弥十郎 : 12:17 | コメント (1) | トラックバック
2006年01月17日
京都タワー
数年前に京都に行った時の事である。
京都観光と言っても日帰りであったその日は早朝から東寺を見学したのだと記憶している。その後、友人で駄目主婦であるところの杉谷女史と合流し、京都唯一の駄目観光地と呼んでも過言ではなかろう京都タワーへと踏み込んだ。それが岐阜市にあるホテル京都であったなら、まるで昼メロのようなドロドロの不倫劇であったろう。しかし京都タワーに踏み入る男女二人がそんな関係であるはずもない。関係があるとすれば、それは好き同士ではなく馬鹿同士だ。
とにかく我々は、私の駄目観光目的のために、京都タワーに踏み込んだのだ。その内容は言わずもがなである。シドい。
ペンキの塗りは悪いわ、壁は汚いわ、食堂は食わせる気ないわ、みやげもひどいわ、まさにパーフェクト。最後に見せられる京都の一年を表現した町の模型などアホかと思うくらいである。もちろんこういう駄目な空気を楽しむために京都タワーに入ったのであり、そういう意味では大変満足できる時間であった。
東京タワーなどは、その背後にそれなりの観光客と人口が存在しているため、努力をすればそれなりの集客を期待できる。そのために何かと芸がこまかいのであるが、その点について京都タワーは不幸である。その背後には莫大な観光客がいるのであるが、その他の観光地が京都タワーとは比べ物にならないくらい凄まじいために、誰も寄り付かなくなってしまう。若干の努力をしたところで、報われないのであろう。そのために努力を怠り、さらに客足が遠のくのである。もちろん私も京都タワーに行く時間があるというのであれば、東寺を回ることを勧める。
さてこの女学生達であるが、広義において愛情が歪んでいるのだろう。私のような寂れた観光地好きや、いやげもの好き、その他に例示するなら廃墟好き、NHK教育好きといった、ニッチであるものの確実に存在する物好きジャンルを好む人間である事は間違いない。それに加えてどう愛を表現するかというところについて、誉め言葉として歪んでいると表現するほか無い。
きっと彼女らは、本当に京都タワーが好きなのだ。問題は京都タワーという存在が好きなのではなく、現在の京都タワーが好きなのだ。連日人が押し寄せるような、人気者の京都タワーなんてものは想像もしたくない。だけれども皆に愛して欲しい。どうしたらいいのだろう。それがこの「作品」の根源なのではなかろうか。それを体操として表現するその手法は、まさに現在の京都タワーにピッタリでありながら、本気なんだか冗談なんだかよくわからない世界観は、歪んだ愛情表現だと言えるのだ。
さて、杉谷女史とのインチキ逃避行は、その後幾人かが合流し、普通の飲み会へと変貌した。というよりも、私が京都での集まりに朝から京都入りし、そこに杉谷を呼び出して同行させた、というのが失楽園と言うよりも圧倒的に正しいわけだ。
そこに出席していた吉野氏が面白い事を言っていた。
京都タワーは京都で一番眺めのいいところだ。
なぜならそこから京都タワーが見えないからである。
投稿者 弥十郎 : 14:16 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月12日
ゲームにストーリーは必要か?
ストーリー神話の崩壊とゲーム業界の「ストーリー病」 (発熱地帯)
ゲームにストーリーは必要か?という問題についてだけれども。どーだろう?ゲームにストーリーはいらないとは言われても、やっぱりひとりではテーブルトークRPGは出来ないわけで、そういう意味ではモジュール程度のストーリーくらいは残るんじゃないかなと思う。まあ私が愛してやまない魔術師ワードナの物語にしても今のRPGに比べれば小さくて単純なお話であったりするし、まあ残ってもその程度という事であれば賛成なのかもしれない。
しかしいろいろ考えてみると難しい。考えているうちに、ストーリー重視のRPGが果たしてゲームなのかという結論にさえ達する事もあるわけだ。
その結論とは、現在のRPGは、ゲームの進化系というよりもインタラクティブムービーが進化してゲームを取り込んだものである、というものだ。こういう解釈をおこなうと、DAKINI氏がノベルゲームを持ち出したことや、アドベントチルドレンへ言及を行っているのがよく理解できる。意識的かどうかは別として、開発者にはそうした視点があるのだろうと思う。
しかし、なんだかんだ言ったところで、今のくくりで言うところのゲームから、ストーリー性が欠如してしまう事はありえないのだろうというのが私の予測である。ただし、今のくくりで言うところのゲームから、であって、インタラクティブムービー系ではないゲームからストーリー性がなくなってゆくという予測に対しては、私から何か言えるようなものは無い。
ストーリーテラーとしてのゲームという需要は必ず存在しつづける。人々が物語を欲するのは有史以来変らないし、物語そのものは滅びない。そこに、ゲーム界で発展しているインタラクティブムービーという物語と鑑賞の形が生まれつつある、というのが現在である。
今のままでは、その物語が何を伝えたいのかハッキリしない、まるで一昔前の、週間少年誌で連載されていた来週しか見ていない漫画と同程度のクオリティしか保てなくなるだろう。そして、インタラクティブムービーは不安定で不完全なものという認識を受ける。今まではインタラクティブそのものが目新しく、それでも受け入れられてきたが、生まれながらにしてゲームが存在した世代に対してはそのメリットを生かせずに淘汰され、消える。
あるべき未来では、作り手がゲーム制作者ではなくインタラクティブムービー制作者という形になるだろう。そして根本的に今の制作手法とは異なるものになる。それはコンピュータゲームから生まれながらも、根源を文学や映画の論法にシフトしてゆくはずだ。この場合、まずゲームであること、という選択肢から物語を生むプロセスは否定される。ゲームならこの感情をどう表現するかが問題となってくる。このあたりについては、ホラーゲームが成功しているように思える。
このシフトが行われない未来に対する予測が、DAKINI氏の言うストーリーが存在しないゲームの世界なのだろう。
で、このインタラクティブムービーの最先端はどこにいるのか?という事を考えてみると、エロゲ―がおそらく最先端であろう。ゲームがやれ新感覚のゲームだのなんだのに明け暮れて、一昔前のマルティメディアブームとまるっきり同じ過ちを犯している最中に、彼らは延々とインタラクティブムービーを作りつづけている。そしてエロゲ―の世界は、商業同人を合わせると、かなりの裾野を持っている。スポーツ的に表現すれば開発チーム数であるところの競技人口はめちゃくちゃ多く、発売数を試合数とすれば、実戦経験を得るチャンスも莫大である。開発スパンも短く、妹が流行れば妹を、ツンデレが流行ればツンデレを、即座に試合に投入してくるわけだ。
インタラクティブムービーとしてユーザーを満足させるべく、こういう環境で揉み込まれていっているのが、エロゲーなわけだ。
私は同級生以降のエロゲ―を知らず、どうしてDAKINI氏のような硬派(っぽい)開発者がエロゲ―を熱く語るのか今の今まで疑問であったのだが、なるほどこういうわけだったのかと思った。
自分でもバラバラと書いているのでまとまってないが、ここでまとめてみるとこういう事である。
物語を楽しむという娯楽は存在する。
その一部にゲームというものが踏み込みつつあり、現在がその過渡期である。
ゲーム業界は物語を楽しませるコンテンツの作り方が、まだよくわかっていない。
ゲームにストーリーは必要かではなく、ストーリーをどのように表現するか、である。
エロがその最先端にいるのは、小説や映画や写真の歴史を見ても当然である。
まあ今日のところはこんなんで。
投稿者 弥十郎 : 10:21 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月11日
楽天終了
まあいろいろとまとめサイトがあるけれども痛いニュースから
楽天ブックスポイントキャンペーン ポイント取り消しのお知らせ
■ 楽天ブックスポイントキャンペーン ポイント取り消しまでの流れ
楽天がポイントプレゼントキャンペーンで最高で約3000p取得
可能に(ポイントはお金と同価値で利用できる)
↓
但し、条件に該当しない人は対象外。だが!誰でも取れた。
↓
噂が2ちゃんねるに広まり、複数のアカウントを作ってアカウント
x3000p(円)での買い物が横行(規約違反の可能性大有り)
↓
ポイント内の買い物を実質無料でできる。
100アカウントなら、300,000円分(但し、アカウント同士合算できない)
↓
この間、約10日
↓
突然、今回不正に取得したポイントを無効にして買い物した分は請求する発表がなされた。
なんというかなあ。2ちゃんねるの当該スレッドではユーザーの不安を煽るような書き込みがいっぱいなされている。確かにシステムの不備をついた悪質な悪戯だとは思うんだが。
どこからどう考えても不完全な決済システムを公開した楽天に大きな落ち度があるんじゃないか?
ネット上でユーザーからお金を取る仕組ってのはいろいろと規約があって、それが不十分だと「それはユーザーが勘違いするよね」という理由で支払いをしなくても済む場合がある。もちろんこの措置は対詐欺サイトのルールなわけだけれども、この場合どうなるんだろうというのが、最大の論点だろう。
楽天のシステムを知っているわけではないので適当な事を言うわけだけれども、論点となるのはポイントを入手して商品を購入するまでのフローの中に、後々支払いが発生するという旨の表記がしっかりとなされていたか、というところでしょう。そのあたりが、eコマース連中の一番気になるところであろうかと思うわけだ。
私は請求できないんじゃないかなぁと思うよ。
というか、これで請求が出来たら、グレーゾーンがごっちゃリ出来ることになるんじゃなかろうか。そんなところを詐欺系サイトを狙ってくるわけですよ。そんな前例は未来のために作るべきじゃない。
楽天には残酷なお話かもしれないけれども、システム不備をかました会社が悪いのであって、恨むんならポカした社員や外注を恨んで、ここのところはeコマースの未来のために、莫大な授業料を支払って欲しいものである。
つーか、世の中のeコマース屋は、ワークフロー上のチェック工程が馬鹿みたいに増えるんだろうなあと思う。
罪な存在だなあ、楽天さん。